プロフィール

飯島祐輔

Author:飯島祐輔
スプートニクが星となって「地球防衛軍」が公開された年に生まれ、望月三起也氏に漫画を、高井研一郎氏に人生を学ぶ。
主な作品に『コミック 新旭日の艦隊』全22巻(原作・荒巻義雄)、『北海の堕天使』(原作・吉岡平)、「新海底軍艦」など。
大艦巨砲漫画家として名を馳せ、その徹底したメカへの傾倒と破壊描写、そしてとめどもなく溢れるストーリーとボケキャラ萌えの追求精神は他に類をみない。

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「電脳」轟拳な日々画廊
今までのあらすじは『艦隊な日々』をご覧ください。

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「千年女優」を観る

090710.jpg
07月10日
「千年女優」を観た。
語り方に大変な技巧を凝らした(むしろトリッキイと言うべきか)映画で、おかげで最後まで退屈せずに観ることが出来た。
面白い映画には間違いないのだが、その技法の洗練ぶりに比べると物語の方は若干腑に落ちない部分もあり、ちょっと批評しにくい作品となっている。
そこで今回は、この作品のネット評で見かけなかった事柄をちょっと。
場面が切り替わるとすでに時代背景も状況設定も変わっているのに観客が混乱せずに話について行けるのは人物の人間関係が変化していないからだが、この技法をどこかで見たことがあるなあ、と思っていたら、バスター・キートンの「恋愛三代記」(1923)だった。
突然の場面の変化に画面内の登場人物がついていけずにとまどう、というギャグも、おそらく出典はバスター・キートンの「探偵学入門」(1924)が最初だろう。
意外に映画の世界ではスタンダードな技法だったというわけか。
ちなみに、私は一連のキートン作品を70年代後半のフランス映画社の「ハローキートン」シリーズで観た。
いくら私がおじさんでも、封切りで観たわけではないので、念のため。
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